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«通火*金ニ吗》|;行
康jK1年二十五弗私
料金半年十五弗劝
カナダ,トnント市
ーーュlカナデァン
ジャズ.ピアニスト
米齓で才ゾネ大受け
否したo才ゾネは去る六月、
二ュ — ョIクのカ — ネギlホ
lルで1時間にわたってビア
ノをプレlして各批評家から
讚辞をうけ、ベルリン•ジャ
ズ.フェステパルに十月出演
して観客から1一度のアンコI
ルをぅけるほどて.ieったo
,灘から励され
率,jfjt節み旅續ける
.:「【束京リ】SN.ルドI首相は、
*©防省1者からの*ッル
,ド-^の平si節としての行
rftw选き^^ものである"と
iぅlぉ対して「米国防省
役人は軍綜がいかK大事でぁ
るか瞎織していないJとゃhv
6
先通末、中曽根葛と約九
4.Affi会欣レたッんドiBlI相
;汰そQ後記者会見kiのぞみ、
rsr(f省役人)の一一ュ
l 3>クで,Q齊首は米政府の
秦35龙"」と官明しTレ
lガシ大禁.からは.w前向き"
:!si私Q行動が受けとめられて
ぃる」ど述ぺだ0 人
ズ米貝防省関保省は先通末-
ュー曰,、lク:で開催冬れたカナ
:ダK関す,O会餓で、カナダの
奖西洋凍約機構(NATO)
、べのslsilKW械少レてぃ石こ
とを指摘ム、「カナダは分担
*sを免れようとして、ツル
ドl氏は平和使節的行動をと,
って.SるJと資めた。匕れK
対してッルドー首相はrョl
nツバ各国でさえ、カナダは
分担金を更K支出すべきだと
奪えてはいない。私はこのほ
ど,ョー口ッパ各国首脳と会談
し、私の平和への提案がどの
ように受けとめられているか
知っている」と説明した。
,また、ッルドl首相は.中曽
se相との会賊に言及し、「日
本は世界最初の被爆国として
平和提案の大意に黄成を表明
してぉbz勇気づけられた」
と語った。
【ボストン】ノ二1、ホン
ダ、カワサキ、ニコン、ャマ
ハ、日本からの輪出品はいま
や米国のハウスホ — ルド-ヮ
!ド(家庭常用語)になって
いる折柄、次に使われる日本
語はなんでもろうかc博学若
はその名はrマコト。才ゾネ」
と答えるだろう。
神戸から三年前に、テーン
ェージャlとしてボストンの
パークレl咅楽学校K留学し
てきたのが才ゾネ君、彼は一
九八一l年ジャ.ス楽器;1K者でべ
スト{Aをうけ、日本からの同
僚ケィィチ-ィシバシとニ人
奏シリ—ズを行って好評をぅ
けた。
才ゾネは一流ジャズメンら
の仲問に加えられてビァノを
担当して広く認められてきたハ
トランぺッターのデゼィ.ギ
ムスビィlが今年の春、才ゾ
ネを巡業団に参加するよう誘
つたが、学ゃ、;半ぱだとして拒
.CL».SJU.B.,«Jl,a.aJULH.toJ>,to,SJ£l«l«J£,<l;u:Li£JLA5JL0,RJLQJLaJCL»JLE,s.0JLEJLJLC.:«.iJLSJC£J£
元ソ連大使、ジョフレィ*
ピアソン氏がッルドー首相の
平和提案を携えて中国とソ連
に先週末出発したことが関係
者によって明らかにされた。
と同時に、ッルドl首相は東
京で十九日秘密裹k:ソ連政府
閉係者とッルド1提案につい
て話し合ったことを、首相側
近は公表した。
ッルドl首相は更に"平和
への探求使節"を続けるため
コモンゥヱルス(英連邦首脳)
会議にのぞんだが、同席上で
も各国首脳はッルドー提案を
東京で密会
ツル:rl首相が平和使節と
して日本に滞在中、訪日中
ソ連共産党中央執行部員ジ
ョルギ.ァルパトフ氏と去
る土曜密会したことが判明
した。この両者の密会は九
十分kiわたる中曽根首相と
の会跌後に行われたもので
カナダ首相はそれについて
語ることを避けている。
ボンで反核デモ
群衆と警官隊が対立
【ボン】.水大砲で武装した
,と四千を超える反核デモ
隊がニ十一日、西ドイツ国会
前で激突。少なくとも百八十
人のデモ員が逮捕された。現
在、国会では米国からの新核
ミサイルの配置計画に関して
激しぃ議論を闘ゎせてぉ,^、
反核デモはこれに呼応して行
ゎれたものである。
コlル西独首相は国会で、
ソ連は,シュネープ核制限交渉
支持する旨表明していること
が伝えられている。
しかし、結「i:ッルドー平和
提案が成功するかどうかは、
一一大軍^大国のソ連とァメリ
力が同提案をどう受けとめる
かにあり、先行きはけつして
易しいものではるいと予想さ
れてぃる。
に提出された西側の多くの案
を拒否していることから、新
型ミサイルでぁるパ — シング
-2を一〇八兹、巡航ミサィ
ルを九六接、来月には配置し
始めなければるらるいと語つ
た。そして、「西ョ— 口ン.ハ
諸国をおびやかし、政治的行
動の.a!由を制限し、米国と西
ョl 口ッパ諸国を分雜させる
ようなことをソ連に許しては
るら^ぃ」と強詞した。これ
に対して、野党の社会民主党
はジュネlブ交渉で西ョー口
ッパ向けソ連の中距離核ミサ
ィル-;^1 sを大幅に滅らす
よう努力すべきで、米国製新
型ミサィルの国内配置を急ぐ
ベきでないと反対の立場をと
你準時間
つている。しかし、与党連立
改府は国会て多数を占めるこ
とから配備案は可決するもの
と予想されており、その後直
ちklパlシング九基が先ず西
ドイツに檢送されることにな
ってぃるe
ちょうど百年〗則に
【トnント】現在、我々が
当然のように使っている万国
共通時間制度が開始されたの
j/今から丁度百年前になる,-
一八八三年十一月十八日、各
^各截場で一斉に、,世界を
たった一一十四区域に分けたス
タンダード,タィム(標準時)
に時計を合わせて、カナダ•
アメリカ両国で先ずこのシス
テムが始まった。その後他の
外国もこれを採用した。
新方式を提案したのはスコ
ットランド生れの力ナダベ
サンフ才1ド,フレlミング
范。太平洋铁m一などで主任ェ
ンジ二ァとしておいていたフ
レ1ミング氏は、タイムテー
北大西洋条約機構(NAT
c)は一九七九年、.ンュネl
ブ文涉が间窓に至らなかった
場合、今年末までに西ョl 口
ンパ五力国K五七二基の巡航
とパIシンク•ミサイルを配
偶することで決定している。
プル(時刻表)を作る上で各
cn各様の時間では不使でぁる
ことを悟り、新方式作成にと
りかかった。そこから一八七
六年に生れたのが、各場所で
同じ時間になるように区域分
けをした"地球時間"と呼ぱ
れた一枚の培だった。幼めは
イギリスなどで冷たくあしら
われたものの、フレlミング
氏はトnントで標準時の必要
性を設*/しだ.Sに世界各地
の;":学々界の会で認められる
ものとなつたo今、トロント
のリッチモンド通りに標準時
お生の地を記す「-_Ti念改が置か
れている。
一八八お年、ワシントンで
やK催された世界跌追標準時に
i?する大会で、英国のグリニ
ッジがタィム*ゾーン(時間
区域)をi5-立する起点として
遠ばれ、今日につている。
一八八三年、標準時が始まる
前tf太架の4_|きを基虔にし
て各:i;,)域で時間が定められて
いた。1日二十四時間ではぁ
つたが、トaントで止午の時
はオタワは午後十二時一一十分
になっており、人々が歩いた
り、馬に菱つている時代は時
間の速いは問殺ではなかった
>跌^時代になって统一の
力
必要性が生まれ
お
保守党首受ける
大ト市エスニック系代表を
ランチョンに招いてあいさつ
•
カナダ進歩保守党々茂プ
ライアン•マ口 一一 ー氏はミラ
夫入同^b、はじめて大トロン
ト市内の各ェス一一ック新閗、
ラジォ及びテレビ報道関係者
約三百人を去る十1月十九日
oィャルョlク,ホテルでラ
ンチョンK招ぃた。
マ.ロ一一ー党首夫妻は群衆に
も
まれながら登壇、まづミラ
夫人が、こうした集会席上で
はじめて英語と出生国のハン
ガリア語であいさつして大拍
手をうけた。ミラ夫人はrト
口ントは多国人たちがライフ
を大いにェンジョlィしなが
ら仲ょく生活している都市で
ここで話させて頂けるのは最
上である」という意味を述べ
たc
ついでマn 二ー党主が約十
分間にわたってもいさつし、
「わが党は今後一年間、機会
ある毎にトロント及びその周
辺のェスニック,グルーブと
意悠的に接触して、わが党が
政権を担当すれば、ェス一一ッ
ク•グル,lブの中から適任者
を政府部内に起用することを
ここでハツキリ宣言しておき
たい、と述べて万雷の拍手を
うけた。
自由党は疲れている
改革委の報告に盛る
才
【オタワ】自由党総裁ァィ
ナ*キャンパノラ女史は两凡
改善のためのレボ!トをまと
めるまでに後数力月は要する
だろう。来週にもレボートが
改革委良会によって提出され
ることになろぅとぃぅ一部の
報道は設hNでぁる」と今週語
つた。
最新号の全国週刊誌rマク
1ンズ」にょるLZ自由党
改革委貝会(I一十三姿貝)の
レボ — トが
来週にも提出さベ
ッルドl首相のリーダIシッ
ブ(指導)下ては党の弱体化
は一瞎深まるだろうとレボー
トは分析していることが報道
されているo -
マクリlンズ誌tf自由党-
のィメージとして「荒廃して
いる、尊大である、利己主&!,:
•自OJ满足にHiつている」^
等が全国各地で受けとられて
ぃると沄,*/ンルド1&相を
名指して非難してぃなぃ^>-
改善のためには新しぃリ}.タ
1が生まれることが必要でぁ
る」と自由党改革レボートは
指摘していることを同委員会
のァルフレッド*ェーブス委
员が語っているとii〗えているo
キャンパノラ核教
は「同誌の報道は委员会が準
備した最初の改革案を語って
いるにすぎず、現在五つ目の
改善案が検討中であることを
おえていない"改革委貝会の
经終レボートは少々くとも来
年一月以"1:にはまとめられる
ことは不可能である。」と強
濕し、マクリ—ンズ^の報道
を正接なものてはないと反論
した0
自由党内都には「最終レポ
1トは改革案というより、
むしろぁぃまぃ,言葉で满ち
あふれたi"いいい.かげん4も
のになろう」と予想する者も
ぃるo