PROVINCE OF OPPORTUNirr
财務及び 商務省より
寸ンタリオ預金保險
:汰'、湖体法
ォ州攻府ケ'提出しcのほど州 議會を通通しな乙の法律の目的 ;ま州はの貯蓄を完全に守るため でぁ6ます* :T州"Vt設立され た金融会肚及び信托t社に貸付 げるして預会する人たちの預金 を保護するものでぁ6ます•同 法によケォ州の法#下に設立 されたすべての金融会社及び信
托會社は加盟会社とな0ます0
同法は乙の種T?はカナダ教切で
ぁるォンタリォ預金保險法人園 体7設なを與ぇました,同法は よb預金は汰盟会社へcr預金
と>カ保控付き投資澄瞎負 «證券もめ他な金融会社から出
される支拂菜務も加盟法人敏体
とされます0
苎法;は;i5a團体—食社毎は預金 ニ万ドルまで保險にかけられる 二とにならますa
加盟法,、困体によ6預会は两法 が寅51されだ日から以後保險 にかけらnています•ォ州で狡 立されな金融及びfS托會社のカ ナダ豕內o支店の預金はすべて 保險にかけられています争
虔
A
カナダ•セン1MIァル記念文(其の二)
東北の快男兒
及川甚三郎£
曹藝淸喜氏c「カナダ密
航物糖」から(九)
梅月髙市
f国する戮用や準備のた
「送還も止むを得ない
N
I
D
A
c
T
空しく】財産を棒にふった
jjけれども、al波して太平洋
の海底にもくずとなるより
は、まずましだった」と强
いて自らに!nい聞かせて、
帰りの船旅はどのような事
になるのか、船贫はどうな
るのだろうかと、ひそかに
案じてみたり「何の親あつ
て故郷に見えんや」と日本
に送還された後の身のふり
方等を考えて見たりした一
行の、やりきれない後悔の
頃前に思いもかけない上陸
許可の掲示は、夢かと疑う
のも無理もなかつた。
それは吉江氏の非常な尽
力によったことはもちろん
だが、及甚の周到な針画と
申立てに、合法性を認めさ
せるものがあつたに違いな
7
9
1
1
h
c
日本政府の正式の認可を
得たのかどうかわからない
けれども彼の出港準備の
中には「北洋漁業会社」な
るものの設立楊類が一切整
め、この地で就労しなけれ
ば帰れないということにな
ろぅ*援護送還てるか、上
瞎を認めるか、というとと
になったのであろう。
事実、及甚はライオン島
の借地権を持っていたし、
そこを基地として漁業を怪
営しようという構想も具体
案も持っていたのだから。
首:i:^よく入国の許可が出
た一同は、荷物をまとめて
ビクトリア市から,ハンクー
パー通いの船客となった。
ちょうどその日は、十j
月三日の天長節(明治天皇
鼉生日)の日にあたり、V
ンクl,ハ1のパゥェル街の
二角にある日本人町には、
日の丸の旗がへんぽんとひ
るがえつていた。
異国の空にはためく日窣
旗を仰いで、あふれてくる
涙に、ひげ面の鼻をこすり
上げて、正式のカナダ移民
として、上陸の第一歩を踏
みしめたのである?
九月の十日に、故郷の港
を出帆してから、まさに五
十四日目であった
o
えてあったし、一入々々の恐らく吉江氏の差配でぁ
海良手^もちゃんと用窓さったのだ.cぅ。パゥェル街
れてぁった。 の日本人i^5w菜組合の好您
楚"〖が:,:〗ぉして、おらぬ」で、十人内外づっ分ぉさせ
やと.->ろに?13なしたとたればられて、ニlカ月にゎたる"ュ
- 一装を解いた。
,.*»ォ
*J »<>
なぎYO嬢優勝
目下ト市昔樂争校で,耿
の條業自中である海汀(か
•なぎさ)壤リこのほどト
けられv..-ぃたが、.令,證據
不十c5;;t理由に無罪釋胜さ
れた,クオシグ失人は自分
で傷つけたかも知れないと
專門整は澄旨しvいる。
希3r
信徒.のl夷s.w
力ナダ
ズで
ノ.
薪
一行
?-vパス旅行肚では今s
大陸橫,の旅行を廣吿の如
塞箱に見守られて死去.►三
月二曰*;ジa-ンソン•グレ
I葬簾社で小野牧每司式、
三敎食合同の告別式を執行
三日埋葬した。
Aト市の尾山正治氏(五
一
ニt'及び白人.a:.?CJCt會4VJ
▲雑誌は毎月御,定先へ遂本豕します
A日本及び日本ま化紹介、生花,柔鳳,4E氣
空手、窗蜜暹、宗敎、日本文學、8本語學
習等の英M赛
A折歉の本と紙、日本紙、筆、墨、说、日本便霣等
才州外扭s新床齒t員が交歡
タy,タ州内C4C系カナ
ダ人新a?編集者約五十人の
一行が、ォンタ-sォ外瞎新
闓霣會(本社.^4<具で、森記
者も两行するはやで、ト市
ではw月七日.ロlャル,,
lク•ホ-KVでォ州観光及
び情报省敏カ下に歡迎晩餐
やがて何人かづつ附近の
農場や鉄道工事に就労し、
パンクーパーを中心に第一
回の密航w八十三名はそれ
ぞれカサダ移民として定萧
一o
バンクlvlから四百マ
ィルを去る山地で、線路ェ
夫として雇傳された人が多
かったが、北緯五十度の山
岳地带ともなれば、東北の
雪国に育ったとはいうもの
の、それは比狡にもならぬ
冬のきびしさだづた。零
ニ,三o度とぃぅ極.寒の中
で、浪だけを出した覆面防
爽、着でも、うっかりすると
ひどい凍條にやられる心
がぁった。
「村へ帰れば一家の旦那
さま」なのに、何の因果で
こんな苦労をと、ふッと頭
をかすめるとともぁったけ
れども、百円という身上と
命をかけて、敢てこの举に
参^したのだから、国に在
る親子兄第のぉもかげ.i^し
のびながら頑張らねばなら
なかった-
営時、j日十時間労働で
日給は一弗五十仙。日本貨
との換算率は二倍ちょつと
だったから、月の内ニ十五
日働けば日本金の五十円は
得られた。その割に物価i5
そう高いとも思えないし、
心配質素な生活になれている東
北の田4!::の人たちだから、
市日本語學梭総會
會負並びに日系諸阁体!iよる21力援助.の下に時勢に
添ふ如く錄展の途上にあるB本賴學校に関し報吿、がぁ
り更に將來への建货なる步み.^脚る爲會員による意見
を求め度く左記しょ.9總食.5*開滞致1>ます。
<-期日三月十九日(日)午後三時定剣^
厶場所B光,カ.l,テン(会费ニ弗)
厶各棟賴吿並びに協議を杆い、没員逮单をいたしますや
マ,クした投蔡用紙AJご持畲下さぃ:。出席不能の方は
十八日迄上离原鉄雄又は.K竹周一氏宛郵接レて下さ
O
厶食争lsiのため出席の方は十八日までに左記何れか
に午後六時以沐、電話で通知して下さい•
佐藤(四六六—六五o六/上高席(九ニ三lニ一六
>、田中夫人(七六六—Is八八):
市H本語學校維持會.
ト
?
に画N
祭計ま
年をか
白何し
二九六七年•乙の華!3全舞市Rが,
ナダにっぃて,思すも*^とです,こ。
理がラスで荒々しぃ鹏Bから、歩んで
きな通去をふりかぇ,、いま自由と裕
福で無制依は生提する鍵途VMIrぇるべ
きです*もれを豕5行争:s,進l&られて
ぃます* r-ンフェデレ,シ,ン,^lラ
,ハンは全加津々滅々の*ナダ-<に驟し
カナダの興味深い物瞎りを胰K—•
から現在にいなるまで——•カナダ祭
.5は嚴Kの娯樂t提供11クュス*ン
音樂からオペラ、豕ュジ*,、ドラ,
等.I•カナダ三kn年の軍隊慶史.w表
徴する三百軍人の見事な戮技もみられ
ます。
これは微百にのはる百年祭行事のほ
んQ三つにし炉すぎませんであなた0
身の行事は«:とな.^ますか*條©<^ナ
ダ人は自宅.tペイントし、メ — .7i',
1フ国旗.^祸げ、百年祭ラッグつく
.-歷史害,讀み返します*あなたは何
を致しますi^?ゃもことの大小は窗嬰
ではめ争ません•た.たニ"好機.!何か
しi!うと心稱えることが大切です,
中央•州雷局の針1!は艮事で典味ぁ
るものとな杏ましょ,,I人一人にと
つて最も意義あることは自分自身でH
か紀念しょラとぃ.フことです,百年祭
はぁなたJJdとって何を意味レ食すか,
tVして何をしょうとしていますか•
ザ,センtKーーァ,-r-ミクi^,y
オタフ•タナダ
面白いように金がたまってつれて、だんだんこの危換
1年もたたぬうちに密航の
爽本の百円を送金,^て、手
放した田畑を取戻させた人
cぇぁった。半年暮し、1
年と径つうちに、アメリカ
の言葉もおぼえ、カナダ事
情もどうやら解つてくるに
な荒仕事から脱けて移動す
る人もあつたが、たいてい
1、ニ年はこんな仕事と取
組んで苦労した•
御好意を荣謝
二月二十二日(土)付のュ
チlカナデアンを求めたの
に対し、多数の«者から两
日の新聞を蕙々お送り下さ
いまして有りがとうござい
ました。おかげさまで必要
だった分を充たすことが出
来ました。御好意ある御協
力を深謝申上げます•
ーーュlカナデァン
水無月句會
厶三月例余B月ニtB(BI)
4句瞎(春麵>
厶置審錄v基
厶lw^4-j月十八日
厶出句ーl旬
厶编所鋒歉會
387 osin?s Av,.
Apt. 4, Toito a, Ont.