turday, J幼卯ry13,1968 T HE N E W C A N A D lA N ノ PAGE 6
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夷申な前見はて有典に御節記、を浦つの眠きtのしケ鸛歸院、 主上がの舞度fe難を余接は念友相開て皆致十事ま交入宅にト
げら御品々ケく項る翔、墓人整教t樣し二としけ院靜入o
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美忠合く 'まれ入R待供上ざまラ吿於す餘時致病豕大たにタばー 子義鼉章御略た、院我敏花、ゎしン親S,て*辱丰しガ1:手ぅ;ょン《儀
「吟は是れ体のg也。朝名木の折れてでき1岸
に吟じ存に:;^じてii;^;IIIら延, 蜂n;
t-、 kll一..t.* : _
年よりのひやめし
it
一新レい年をむかえて考え
4|iせられる事が沢山ありま
す。明:m時代頃には『】年
め針は元旦に在り」の言葉
•4よく使われ、靑年は靑年
りに、老人は老人として
1年の計画を立て入格侈養
省家繁In:の基礎*金言とし
おものであつたが、カナダ
fの日系人のお正月の気
抓も昔と大分変つて大旌化
1れ其の日、來る日を前進
吝せています。
i年齢を重ねて来ますと食
教は申すに及ばず外の沢山
靡欲理も漸次减退してゅく
iがl5cでぁるし、毎年の
wn月の気分も変つて来ます
tlで私も正月の気4^毎年
tflってきたょと申すと
*^だ考えたり、考えが変つ
おりする恥はよいので今に
1れも永久に変らなくなる
妻が申しますノ全く自分
思うまいと努力して.jSる
省ぃところをつかれて新年
舉.^にが夷いをする古稀の
に近づくと人生に就いて
"-cぃろ考ぇ玄すが、昔か
らri!れとぃゎれた七十の齢
は現代ではまだ若い方で、
* Jれがc分の齡と考えれば
まだまだこれからだと空元
気でも出すのが當然と思い
ますが、もう一歩進めて白
分に適した健康法を研究す
るのが第一と思います。梅
月君の健康法もよい参考で
す。
如を使う事と軽lぃ運動が
よいと私は思います。詩道
に志して;4年も夢のように
過ぎました。下手ながら詩
作しました。
吾志詩?3過五歲
此日受国号免状
自汰連々道不進
誓努カ此感激上
な,
び、。健说上とてもiいと,
思います。l,者は常に站全:
な精神と体カを養-r事も条
項の一つとなつています。一
体力を丧うことの一っと:
して四年前ゴルフをはじめ;
ましたが、これもょぃ述動-
で、健康上満点です。も久雨の.せ舉にへだでて降りし
少し早くはじめたらよかつ一
たと思っています。 一
短耿
屮野雨愤逮
刺に紅菜?s淡色づ、」c,4.
ん步..rに练葉liみたし
双紫
る屮小さき世界にたても
登关
柔道は今にけいこしてい
ますが年寄りの御方にはお
山の端に落つる夕脇の樊-
しさぃく皮もttふ都市離.
來て きよみ
はよい運動と思って道場に
通っています。妻は年寄り
のひやめしと笑います。.踊
るあほうに見るあほう、向
じあほうなら踊りやんせと
いう文句の通り、そんな気
すすめが出來ませんが私に痴fれ;f?"sg"れゅ
,.>-の聲々にゎれは生きゅく
タェ
秋日さす紫老院に三入の老
婆默して椅子搖らf.をり
審子
深みゅく秋も知ft-たし執ぁ
さのメlブル投ふ庭AJ滞き
いて 紫苑
〜持ちになる亊が健康法とも停年も間近に迫ケ甘さ桃兹
思われます
林傳兵衞翁辞世
(靑葉会報)斉日園芳豕
宗Kは左の辞世をのこして
一月四日午後昇天、一月八
旧ケulナ第一合同教会に
てゥィリァムノハームス牧
師並にジムyヮlノッブ牧
師司式の下に盛大なる吿別
見本贈呈^.i;^錯に
,ュlカナデァンの新规解
K申込み4«には特別号を見
.-- -
.14として麵呈し、向う1力
且閣は無科で錄送ぃたしま
土, SR者の像様も新購tt
ll働歸にどぅぞ,格カ下さ
Aようねがいます,
0購统料は一年七弗、申
込みにお添え下さる方が
こちらは好都合ですが、
後から送金でも結構です
THE之twGANADIAN
-179 ■ Queen St. West
Toronto .2-8. .Ontario
Pho5 EM. 6-i
式,を営みレlキビュゥ墓地
に埋葬された。
世の義務は尽したらねど
許されて神の御元に行く
ぞ嬉しき
夕栄のして暮れにけり紅
葉山 芳翠
^吟靑葉會同入
師は去りて遣徳敦べん永遠
に- 湖畔
大霜に寂れし園や菊の花
みどり
師のli1^ぅけ夕冷ぇ覚ゅ寒の
の敏場に.せ立てて吸ふ
小松
はほ笑める月の心おさ"、ら
.cと引力抗し宇宙さわが
結婚御挨拶
林正男
づ
蔽
ト
雨
子
句友逝く夢も結ばず雪しん
く 竹嵐
惜みつ、恩師見送る雪の園
恵
右兩名说豫て據杓中の處十
ニ月三十HJト市佛敎貪5si於
て石浦開敎使巧式の下に結
婚式を舉行ぃたし、引糖き
西湖茶樓に於て些か披露窖
t催しましな節は皆々樣に
は年末の處御多忙中にも拘
らや御臨席の榮を賜ゎり、
其の.ri玩辞祝電.fs尿な御
祝品など戴$城に有瞎く厚
く御嫿申し上げます。尙今
後とt、兩人に對し倍哲の脚
变粒と御指遏を賜りたく略
误ながら紙上.1'借りて御瞻
旁々御湖,,争し上げますノ
ト.ロン
母
在大阪
母
市
林與您彌
すみ
小藪サイ
本俳句會選者として多年ご盡力下さ
いました小林芳翠宗匠の死を惜しみ
誰しんで哀悼の总を表します
美s登俳句會同入一同
並に佐藤旭山
す(米练の制空奴走)
けんねい
秋晴れに"子もまじ6-て子
等校々と木の葉舞ひ散るH
仿梭庭 *? .:^
今汰:.-1贞な>0沐葉.^拾ぃ
きし冷き子G指:晚秋のにほ
ひ ちt.Jせ
,ハタ,ハタと敏にはにめく新
国旗カナダーH年の降盗.Wー,小
す お海
血ハ匂ひ常にただよう--の
地球しばし忘れて降翁祭を
待つ 選者吟
ごぁ
、
レ
きつ
^木海蔵氏の
入社について
古屋交通社
常日頃、各位から絶大なる御支汰.v頂き、5^;、銜礼を申し上けまv。
.今回、:ャr;木海蔵氏が本社に入つズ活動して下さることになりました。
露木氏は皆様が御承知のよう.に、旅行関係業務に精通しており、そc-実續は一舰か
ら高く評価されているところであります。本社としては同氏を迎え入れて、各位Q
御希望に添い得るよう、二 努ぷして奉仕させていただく所存でございます。何卒
ょろしく御利用下さるょぅぉね!^ぃ申し上げます。
トaント市スパダィナ街三六五V ,お:、ん£ ft
:話三六六—ーo七ぉ ,!lr、s,i^
今回、コンパス,お行社を退き、古尾交通社に入社致しました,これまで
皆さんから頂きました御援助に深く御礼を申し上げますと共に、これか
故瓜より
在T:北川生
富士t見るにゎかに輕し
建設に負けT田畑がまな
消える
らも
段の御支援を賜ゎりたく、入社御挨接申し上げます_
(自宅髦話五三-,=^!九九三五)露
海戮
裏作,yみすてて出稼ぐ百
姓ら
麼奶の跡や淋しい冬もみ
じ
參昨年九月の紙上に出-
た,歪者ねっ造,の筆者床
水安三牧師を,宏三,とし
た.カは漠糾*日本の讚者か
ら瞎々注意ケあつたので訂
正します*
感 謝
本紙の牵仕と活踵を御支嫿
下さる次"方々からの舞寄
付A徵籠申i-上げ,す,
Aト0ントの森田覺三氏
A,ハ,-ナビ — の澳窗鍵氏
父sy^4、lffi舒縣八)
ぉぶ\肖银去る十一
月初ょ,9スィ臓ガンにて加
療中のところ十二月二十五
日突然病勢恶化しI月四日
午後二時s:十分八十九才を
1期として家族全員に昆守
られて自宅にて眠る.い如く
星天我しました事を生前辱
知の皆樣にお知らせ申上け
ます,追って一月七日夜ケ
t^lナ市のデ!葬條社に矜
てハIムス牧帥司式fjiて前
传祭ぉ行ぃ翌一月八日午後
二時..ケローナ市第一合同
教会,^てハ1ムス。牧師並に
ヮ,lプ牧師巧式の下は吿
別式を誉み,も乃後レーキ
ビュl葛地に埋葬いたしま
しゃ節は秉數の皆樣:^御虔
方AJ御多忙中と雪路にも拘
らず脚会莽下5にまして,v
のt御供花、掷花^、弔碎
弔霣迄賜.'ました事^.-生前
中に賜ました數やの御厚
愤と併せ簡單乍"紙上,v借
.9M!i:く御糖申し上げます
K:x 9ー>, \vi-
夷主良男
.-泰
次秀
妻
三男
妻
ぉ秀女
女培
な廣
妻三女
女頃
妻四女
靜!i
-i十
一昨年六