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「像《ー鳳«還|£:!」第八儒
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一,J.to大llfiは軍入上.r
でif戴奢だが、M糖は麵舍
!spゝっぃてぃるとぃラ,
8?ni府lsl待審れて
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ぜ,と舞じくェ業は一ゥも
Iぃもlく、広ぱくたる大
jMIに欽牧sれた牛ゃ野蠢
曹徵-主なる魔ir
中山吾一
曹府cァスンシnンは人
n ■十万といわれ、可成り
新らしい高い建物もあり空
港もま戮である,ここには
曰本Q大鍵Mもぁれば海外
拿住事截団事糖所もぁる,
B糸入もニ百入徵ぃsr
私は十四年糖、プラジル
oポy-kポラy市の近くで
ぺデ,ジMォシガプラルと
ぃぅ町c近くc日本人n。
垂1ャ.^5|ねた己とがぁ10*
そQ後ここや日糸人は何年
も総いた不作Cため大変曹
*にaつていると爾いてい
たので、ぜひ行って慰めて
あげたいと思っていた,こ
んど不恩鹏な方法で專かれ
Kそcに行ってきた,それ
は塞が宿った米入宜教歸ヒ
ューストン牧歸がニ人乗り
の小型飛行機をもっていて
それに乗せてもらい二,閣
半で飛んでいつだfn p .-
ャを訪ねて十四年前から知
友數康狭を集19て集余をも
ち、狭ながらに再余G蒋び
を分ち合った,*截をゃづ
ていも入は二十五家狭位と
ぃぅ,輕済的にもまだ畫か
でない樣である•皆さんを
助ましたり祈ったりして次
の日にまた两じ飛行擴で爆
つたが、途中で大雷兩に4^
い、果して無事にァスンシ
霣ンに着けもか否か、途中
で墜落する©ではないかと
気になった?もしこQジャ
ンダルc中に飛行櫬が落ち
て死ぬも事が運命なら、神
徵私の靈を御手に赛ねます
と錄汰な祈り*した,生命
を賭しての«界伝道、神は
析ゥをおきき下さって無事
空港に肇いた時は應謝の熟
禱を辦にささげた。
五月十九日、歡は一人で
パスに乗り六時閣でァスン
シ薦ンからHンカlナシs
ナル市に來た,ここには約
七千人C日糸人のn a nャ
が近くにあって、入口四万
eこc市にも可なり日糸人
が唐り、十一年前からw拓
伝違をしてぃも錄本敏牧翻
1家が唐,、以篇から文通
しズいたので肪ねた。そし
てここの日本人n aュャに
数年前大変不聿な事が起づ
た*それはそc日糸入cた
らづかゎされ献身的に伝逮く、定銷食に集まった約i一一だけ《料したかと1iながらそして,来、さらK,条i
していた酒并好太》氏夫赛IC入の来場者もさぞ喜び,うれしく班つた• ー希sが稀たれるoでぁ,,
が迫害のためパラダワイ入しまれたとであったでぁ私た^^は:の舉ncー歉【:o畢,oたぁ篇カしyぃ
めに自由メソジスト教Aかーレてぃる争
に欲された事である•その
ために教会の活8が1時中
止したが、今回日本より*
進の杉山屋則枚師夫妻を迎
え、殆教者の血で始まった
この地に十字架を裔くかか
げて信仰の道を切M,Jぅと
と
晚布D
O
ト
^-の度、a市グ,ッドスii新移住者の子併、B糸】1
日本糖•園,第一闻卒世、四歡の勇女め褒合で、
纖式,攀藝会がォ-ク如プ
ジ,ォ-',テト,ァ.rでwさ
れたが、まる一年でこれほ
どまでにと、ただただ感激
させられた•
申すまでなく、衬上先
生の熱意のめる推#のおか
げと思ラ,昨年六月に,校*
鹰多の困雞を克股、
生徒た
七t糖名の牵徒たちを、よ
くまとめたものだと敏心し
た* :マ.
生徒は生徒ャ、それどれ
努力と熟意を示し、父兄Q
欲助が•内いつばいに表わ
れてぃた*卒業式は驀詹费
に行なわれ、攀藝会は紙芝
居,音樂A、舞aと実れ多
•?,
(華者の錄がちょぅどB
*よ-9雄K中でいっしょ
に•加したが、一步外に
出ると夷|»ばか多の*-ナ
ダで,先生*子供*飄と
合我した予想外の日本糖
歉宵をみて大jKょろこん
でいた)
N-の催しでつくづく感じ
られた>-とは、日本糖を寄
ぃて讀んで舉ぶだけでは歉
宵でなく rどラして子供た
ちfcひきっけるかJとい5
tと十分示されたことで
ぁるノ
子供た,^は子供たちで學
藝余でそのまま表わされた
ょラに、この催しはわれね
れ舉liのものとする幽餐拳
始めのあいさつから錄rvの
墓切れまで、そして墓、
裝歡、準備が子供たちと先
生の举で.整えられたと
は狭ぐましいものだと思つ
した先生.子俱.父兄c攝,きたぃ
ぃっなが.'を,三時鹏c條
しで難,られ、舉ばされfc,
人彩ケlズ
冬季中に入形ケ,ス七Hf
をこしらえました,大き
さは十ニ时x十时xニ十
ニ时です、入用の方は氧
六六II
スカIV t*
勝野千秋
求? r三AIM急隶む
l七六
ぉii
(s)
幸蹇クジ
州クィllデ,,Qマ,-
,,Jiビ,夷人,番母
A來る七月九B(BMHIK
三時と八IIr rなっ.slしぃ
凰來坊.
ちの年難蹇、學麼差、それl彩で、私たち父兄のみでな
s
したまま
(四)
へ,チ》*ジ*ォンタ9ォ
EHではsfMなIK維,ク
プ/を使った*たとえば
Bの、各墓余で时Mされ
幼,
咖
■ J
貪しお04、ビヂォ•チl
プに枉められ、餐B余出席
jwにスクf,ゾt罷して知
i03れた,そゃs余に出席
レなくても、どんな内赛c
拿項が協鹏されたかt、大
体知ることができた。
したがって各代表は、
ぃぅもcを感知することが
審易でぁり、ぁるs会では
こ.9した事糖をKし合った
©だなぁ、と食*し、また反
对Mもぁつたことが各IS会
i事項t、餐郁4fiM糸糖議長によって報吿され、な
ぜ反IKめ聲がぁがづたか、
ということも知ることがで
きたゎけでぁった,
こoビデォ•チーズ使用
は、各代表が全都の節會に
出席することは不可能事で
あることから、部会室にテ
レビ•カメラをすえて会班
ながらにして、会鹏全体©一塞行を記録、こうしで集ま
R行きとか,雕体的意宪とーった各テlマc記錄をr声
ゥン•ミ — チングjと呼ぱ
れる集余で各分野0総記«
をビデオTチープにして1
舰代表に知らしたcでぁづ
た,
と,ろで、备入種グルー
フめ集まケでぁるだけに、
人口的に有力な、たとえば
ィ,9..'糸、ドィヅ糸、ュ
クレュァシ糸とぃぅ各人a-
グルーブは、もトろん人ロ
に比例して多くの代表者を
送ってsるので、機食ぁる
毎に「我々c方針は…」
r我々の要求は……」と口
を切るの,か多かった。いわ
ゆる少数民茨の東洋人糸は
した."って発言す*^チヤン
スがぁifc-なかつたといえ
る。ぁってもぞの発霣に重
みが欠けていたともいえな
ぃtとはなぃ,
そQことは余鹏饑肇のャ
レムn大臣が、ai会澳说で
1K注意を促がしてぃる,
彼が「我だけの方針とか
我々がまづ教初にとぃ.^態
度をとるるとは、いともた
やすいことであるが、、そ
れは正しくなぃ.,5,,:」とい
し.&し、現夷的には有カ
人種、というと語弊がぁ4
Rの多ぃ人種グループ
力
.はそれだけに雄升者で場な
れ,Jたスビlカ!を代表に
加えて、まくし立てたとい
う感じが、全くないおけで
はなかづた,開会日o晚餐
会でディビィス苜相は「私
はエスユックといケIB紫を
ってぃるょぅに,この会議好ましく思わない、私自身
は他c人種グルlブが、どこの方は何人種代表の某さ
ぅ考,、どのように思cvてんです.1と紹介されると,
いるか、ということをォーとても嫌な氧持ちになるや
プン•ハートで傾聰するこむしろ、あっさり、何々さ
とが、条大自的のIっでぁ
り、各人種の人口の多少を
問わず、平等位置で、それ
ぞれの意見を尊重レょぅ,
というのが、そAPそものナ
イデアであったノ
んですと紹介されることの
方がよろし
と述ぺ
たのは、へリテージ•オン
タリォ会班へ、一っo指針
を投げたのではないか、と
trぇてぃる,(森)
六
私たち©子供のように四
世が教えられた通♦、舞台
でつツキ,したH本糖を使
って糖表.:た、歉ったh'
したミとは.適に一日だけ
の勉强にも拘わらす、^-れ
トロント市布吿
ガlベジ集めについて
来る六月三f a (金曙8)は« An糖桑の41体B
にっき、この8は>^|ぺジ集めはぁ-»ません*
したがって-,Ytk集めは次c普纖Bに行-oれ
ます,
H. F. ATY百,p.
•、
ノ
め
日本航空.カナダ航空
アメリカン• Hキスブレス後援
古屋m I 口ッ
九月十九日(火)出«、十月十日(*)
ス•ォラ;vダ,ぺド,-fタ•スイス
を霣社社,がご案cいたします,
鹏鲁は九四o弗、参加人sは二十名に鋼限させていただきます•ぉ申:Aみ
は友人おさそいの上、早目にど5ぞ.……,•(電K三六三lo六lifo
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ : ■ . Ek^kBltF^' :.•
口ン
ィタ9tf • 7, ヌ等七AH