歐'れ肉'"PM / THE NEW CANADIAN PAGE ./
ニ三市十肪六三叛五永彿 十十郞弗問十十尾十代抑
弗弗平宛配弗弗初弗班打
念枝宛象 晚渡 名班
市辺松レ畑木 兒
新永ススォ浦3;. 龍次正プェシ野傅 神郎タマノ、吉 武久ソ ャ 治两ジメ
ゾ篇:ー;::マ:〕:::
梅月生
行なう。耳をたたくとnマ
クが拔れたケ、目を押すと
戮玉が飛び出すのではなぃ
かと心配する人がやるが、
自分で自分の体を条めたた
めしがない•安心してやる
こと、それが一また接战に役
ァッブルをかじゥたとき
血が出たので「シソlノー
-|」(齒が動ぃてゥミを
出す病気)の前兆たと思い、
齒ぐきを橫で力いつばぃ押
し統けた,yころ、齒ぐきが
ゃッチリしまつて、今では
ゼ1> .ビシめふたをrLで
開ける,s^とができるノまた
,こ
冬の冷六
い水は頭にジーンとしみた
が、今では何ともなく却つ
て気将がよい•朝、ロc中
に水をいっぱいふくみ、の
に背をもたせかけて弓なり
になも*初めは体が固くて
どをカ強V.ゅすもと甲状線I足.M頭が同時に床につかな
が剌徵されてホルモンの分
びが促がされ、聲はいつま
でも若々しい• Mぅした運
動のぉかげで肩nリ,瞎痛.
神蔽痛などはゥゾのように
消えてしまった。
私は毎糊、鉄のアレイを
もつて振ると背肾や首の骨
がボキポキと音をたてるが
これ、はまさに天の音で、体
の老化を防ぐ。っま,^体の
分解掃除をする音で.、さび
た体は潤滑油をそそぐ音だ
と思えばよい。われわれは
毎a仕事をして体を動かし.
ているから運動は必要ない
という人がいるが、仕事で
体を勤かす時は毎日一定の
ところを同じ力で動かして
いもことが多い。これでは
体の動きがアンぺランスに
なるo ,
そこで私は二つ折りの座
ぶとんを三づ童ね、その上
いがニl三回ゆすっている
と背骨がのび体がやわら
かくなり、床にづくょぅに
なる。車のェンジンは動か
さずに放つておくと直ぐさ
ぴてくるが、よく手入れし
ながら大切に使えば長持ち
する。人間の体も同じで、
固くならないように適度に
訓抹してやれば健康で炎く
使える。 .
辰後にわれわれ人間は自
分で話し、自分で行動し、
自分で生きていると思って
いるが、この世にあるわれ
われの体は自分のもめでは
ないV目にみえぬ何物かが
ゎれゎれt生かしてぃる"
それが霊である。だからわ
れゎれは奮界の代表としズ
神の意志にそむかない生き
方をしなければならない。
もこに雜欲が恵まれ、,幸せ
が防れると私は信ずる,
契約移民
hン
角ロ泰ニ郎
『契約移1I^Jとレて嵌初〜貨物船に乗り込んで.-本よ
にカナダに入国したのを、
日糸カナダ發ぉの第」号と
するならぱII-Aiぃ.ぅ記事船の前を横断しようとする
のをHn撃、船はやられるの
だと思った事さぇぁづた,
力
たo
私ども瓶本県人六十名は明
治四十年(:一九o七年)六
月、ni加用IK会社の举にょ
、,ハンクl ,ハ,島力ンパ1
ラ.ンドの鬆にmカ年の契
約で正式入国した者です。,
その時は二十四才の若ぃ吝
かゥで第1祖办扭秀に任命
され、第一一祖は荒木顧太さ
三昼夜乗
いて一
んカ
り
泊、あくる日aシァの傭船
ュンチa1号といラ大きな
ざらばと別れを惜しんだ。
途中洋上で鯨の大群が乗
亂を吹ん鯨の勇ましぃ有樣
をみて美しいなあとおもつ
なo11*11のこととて"いづま
でt甲板からこの有様を眺
めたものである。
ながい航海を終えて、I
间元気1ビクトリア港に上
陸、づン:クーパLの日本人
会々長山崎寧氏に迎えられ
fcoその夜は同地の日.4.人
宿にl泊、翌日タッグボー
トに引かれて目的地のカン
ぺlランドにマいたのは夜
であった。
迎えの汽車にのってかな
6*iつたのち、鬼燈もなく
暗ぃブッシの中に降ろされ
た。多くの人冷が逃えに出
て話に夢中だったが、暗い
林の中で顔も知らず名も知
らず、わからぬまま荒木さ
んの組をナンバー•ヮsに
私の組はナン,ハI •ファィ
ブと、右左に分れていったo
今年九十ー才、在加六十七
年のはじまりですo
當時カンバIランド在住
日本人の日,生活はナyハ
I *ワンは早くから亂けた
ところだけに家並なども右
と左と向い合ってやや整頓
していたが、ナ.ゾバ— •フ
アイズは全くお話にならね
轧雜ぶりであった。s:十年
前かに森林を切6倒し、そ
の瞎を统き拂っ-<>ぁとに残
る巨大なスタンプの恥に家
が建てられて、あっち庐い
たケA>つち向いた一とい5
有樣であった。
そのころ日本^の家庭で
は大抵は子供を五、六人は
fvってぃたoなかには子供
の父親が誰かわからないと
いうのもか-fl;-りあるょケだ
つた。そんなこ:Mで畀ra:志
の暗討ちやらビストルさゎ
ぎ、心中といううなoと
も起ったりした。
B糸入の間には永年の希
望がと,といて市議や市長も
出てきた。炭坑で真黑んな
って儺き通した私.^ちは排
斥の中に黙々と頑張ってき
たものである。そして第一
次大戦には日系人義勇兵が
出征し名脊の戦死者も出し
た*今0、日系二、三世が
整かな生活ができるように
なったのは、一世の尊ぃ遗
匿なやであるといえる。
私はカナダに來て以來三
度日本を肪間した。教初は
aをsてがら十五年ぶいで
長男長女二人の子弥づれで
わが家も妻方も双方の両親
らが大害びで歓迎してくれ
た。そ後約四十年、二度
目の坊曰の時分には、日本
に滞ったa5の組の奢はほと
ぺ厶ォ州ミ,ナvc藿a孝
ジャ.,氏,四六):はゴ一月十
九03乾去*「十ニ8きク争
ン教飾しょh's别式を行ぃ
ハイラン>■ • メ *r>r» •>
lダンチに埋称したo
厶ト市の林ひろ.-ボl中
"は西at五曰市tィ1スト
TVネラA4院で乾^^、日
糸合同敎,.で:九日吿机式を
行い、十日午抑ハィランド
• メモタ— *ガJ'デ:Vスに
ゃト市パ佐藤沐吾氏.(五
九 > はゼネ,,病院で死去
ニ十七日伸魄教參で吿别式
おXTい、ニ4»八日ブ> スぺ
ク、墓地で火葬しな。
.厶ト市々原田熊布汰(ん
二)は四月八日セン•や
ィコ"病院で死去、十日东
彿教会で吿别式を營み,十
ー:tlパィランu., * メ:乇リJ-
wlダンスに埋葬
寄付感謝
ブス•乇Iタ,社
んざ死んでおり私の先辈ー一::l五十弗山田菊枝
で私たちの結婚の仲人だつ
た田中佳雄さんf現在九ヒ
才)だけが生き残っていて
喜んでくれた。六十七年前
のカナダへの渡航の時の私
の組で办チダに現存してい
るのは僅か四人となってし
まった。
o死
じ
厶ト市の佐々木新太郎氏
(ぉ四)は三月m十日ィi
スト*>ネ,ル病院で死左
ミ十一日』系聖公会今井
司祭によカ,T::拥式をialみ、
一日午節レスト•へフ
地に埋*1;.-た*
.(l .?=^七三年一月--り十一:
月末まで左記皆様よケご银
付お頂き厚ぐぁJilゃ申し上
げ.ぇす。敬稱略..合# .
カムルーブス
佛敎会
©古希稅十,つつ
北川もと-安井ユキノ
め特別寄付「,
ロ千弗カムVISス
好入会.
n3ニ百弗ノー,.スカム,f
□三十弗上西功一
aニ十五弗西崎久西郞
0仝タイムススクHァ旅
行社
n仝龍神バブ,vに
nlニ十弗山田新太郎
n!十五弗大橋繁太郞
CD十弗.兒玉傳吉.
nl仝広渡ゅぅへ
ロ仝無名氏
nl仝BサンゼAス天理教
泉部
ォぞダグ"ーブ若林
1yll弗加麟スタ.ン>—
€}結婚記念
募Qm十弗北衬武雄(息女)
□4.五弗加藤菊江(息女)
藤本登志雉氏の
体歉から(下)
ある先生は、人間のむ臓
はボンプではなくタンクで
本営に体に血被をじゅんか
んさせるのは毛細血管でぁ
るといわれたが血のじゆん
かんが悪くなったら有らゅ
る病気が起こる。血のめぐ
りが惠ぐなる眼因は食べ物
の閣違いが大きいが、背骨
が亜lg臼をぉVしてゆがみ
始め被痛などが起り易い•
病豕が背骨の矮正にょづて
治4場合がぁるのはこうし
たわけである,
私はまず老化に挑戦しょi
うと思って健康法をはじめ
たが、病氣、特に内臃f
は五臓六新をつるしている
ヒモ(腹膜ゃ檢隔膜),或
いは骨と骨をつなぐ軟骨や
筋肉や関節の阿方の骨をつ
ないでいる族などが、かた
くちぢんで行くこの老化か
ら15は起る,そるで元気
で長生きするためには、こ
のヒモに弹カをっけ、大ぃ
に伸ばしてやわらか.くして
おくことが大切である。例
ぇば立づたまま瞎を前にま
げて手の平を床につけると
か、足を抑に投げだして座
り、頭を床につける等の運
動をレて、体を十分にのば
その他に耳を手の平でた
たく、目を掩で力いっぱい
押す、亩腸や肝瞎をつぶれ
んばかりに押す、自分で<6!
分の甘をしめる等々、二見
無茶と思ゎれるととを每日一
;:.春のバザlvo案内
tfかst道资金のためr春のvサi」を次の通A^催し袭
すo皆様誘い合わせの上、多數ご来会下さいますよ
5ぁ待ちレてぉ-ovます,-
ss日四月二十日(土)午後一時l艽時
Es場所トpント日糸入合简教会(ドパー,,ート
sa食堂うどんチャ,メンとご新-,らしゃし
サンドクヰッチと杠茶
ea貪物夷店すしまんじゅうおはぎホ,ムベ
lキングその他
o品物爽店馥富に取稱ぇてぁりiす
.沐號室で映糊がございます。半日をごゆつくりと
ぁ適ごし下さぃ
主催トロット日系人合同敎会婦人会
S3五弗、寓山靜子(悤女)
tu五十弗樣神:
OH.五弗.小欠
mニ十弗.大演ー
nl仝後藜康治
cl廿五弗中島政行
@赛儀御嫿
GTニ十五弗,豕田ジミ(亡
.:.傻.....
1::1五4.弗ー.故崎田永晴)小
.森逸維、.
ロ百弗:錄木降義(亡咏)
ロニ百弗加藤彰(u母)
111仝,前田レぉ(u夫太.个
cl仝.龍神岩万(仁矢松次
0法.要::パ
1D十弗故裔山ミ+1周忌
トュ,•ぺレゾ:^
1u仝故氏尿定次郞三十三
回思平すえ
n仝.汰崎掛永睹忌明.小
奢逸雄
D仝、亡,关五十周忌并手
.テク
nj仝.,故咏初盆小森逸雄
a仝汰父十七問总西村
市藏
a仝c母1周忌汰貞雄
a廿弗〜故4K三回忌浦野
:、-ヤメ
D仝仝な石いえ
ロ仝故夫」周总加藤菊
江
D廿五弗故母总明加集家
E2十弗-故母初盆拥賴豕
clニ十弗,故吉田せい十、
回总吉田っざぇ.
一口仝宮原ハプl廿五
nl仝故夫初餘本cきく.
cl全全十七目总卒すt
1u仝全ー两忌本lcきく
!U4"五弗故母追博小森
逸雄、小神良雄
ロ三十弗故母ッ,忌明
厚田ジミ
A仝u央l两总リグ千
ット安田名錄
C3仝故母忌明《木降義
nl五十弗亡赛十m问徵
阿浦善太郎
cl仝故レンダ追悼晚市
濱n常吉
nl廿弗c咏吉田ヰン十三
回总大演雪江
nl五弗永代經法实栗須
花子
nl三弗仝黑山ちぇの
nl廿弗宛11望月錄!ュ西
衬市卒兒玉傳吉坂木
t^维
1u十弗宛I、北村スュ川
m幸子母訪日田原ト
シュキ